11/1 (Sat)

11月になったが、全く季節感がない。日本にいれば「冬だなあ」と感じるのだろうが。
学部の博士課程にいる先輩たちと食事しながらいろいろな話を聞くことができた。思えば人類学の話題で大学院生の人たちと色々議論するのは初めてだ。色々勉強になるし、とても楽しい。
話の中で学部内の教授の間の関係を聞いた。どこでもそうなのだろうが、やっぱり教授間のpoliticsはあるらしい。thesis commiitteeを組むのにmasterは3人、Ph.D.はその3人のほかに2人加えるのだが、この中に互いに意見の食い違う教授が入ってしまうとまずいらしい。普通に考えればどんなに他の教授が気に食わなくてもそれは学生には関係のないことだからそれを理由にcommitteeに入るのを断ったりするのは馬鹿げているが、そこはアカデミアの常で、そういうものではないらしい。来学期どの授業をとるかはcommitteeに誰を入れるかを視野に入れながら考えなければならないので(普通は授業をとったことのある教授に入ってもらう)、かなり慎重に決める必要がありそうだ。
今日はよく寝たはずなのにやたらと眠い。ぜんぜんはかどらない。こんな日もあるか・・。

11/2 (Sun)

昨日先輩たちに、他学部の授業をとってそれを人類学部で要求されている単位として認めてもらえるようにpetitionする場合、それはどれくらい難しいのか聞いたら、それはかなり簡単らしい。ほとんど通るということだ。
つまり、どこの学部の授業だろうと自分の専門に関係のある分野のものなら単位として認められる、ということ。これはいいシステムだ。
今日卒業までのコーススケジュールを組んでみた。惚れ惚れするほど無駄がない。もちろん変更は生じるだろうけれども。先の予定が決まってくるとちょっと安心する。今のところmaster thesisを書く気なので、最後の学期は授業はとらないで論文に集中する予定。

11/3 (Mon)

学科内のpoliticsについてだが、これはどこの大学のどこの学部でも多かれ少なかれあるものらしい。場所によっては学部が2つに分かれてしまうようなこともあったらしい。
マルクスのdialectical struggleが歴史をすすめていくのだ、という考えはかなり深いところをついていると思う。class struggleではないにしても、グループ間の衝突で世の中は成り立っている。また、dominant classがideologyを自分たちの支配を正当化するように作り変えていく、というのも全く正しいように見える。教授間の対立はまさにこれがそのまま当てはまるような。
最近political economyという言葉の意味がだんだんわかってきた。「政治経済学?はぁ?」と、人類学者の研究関心にこれがあるのが不思議でしょうがなかったが、これはマルクスを知っていないと全く理解できない概念だろう。
勉強していくにつれて、多くの分野へのマルクスの影響がいかに膨大かがわかる。いままで全く知らなかったのが恥ずかしい。
今日、ある大学のページを入念にチェックして、そここそが博士を勉強するのに最高のプログラムを提供していることがわかった。forestry, resource management, ecological/environmental anthropologyのjoint programがあるのだ。まるで自分のために作られたと思えるくらいフィットしている。
とりあえず、2年先のゴールの設定ができた。それに向けてがんばっていこう。

11/4 (Tue)

授業も後半に入り、少しリーディングが減ってきた。ペーパーを書けということのようだ。
授業の後また教授と2時間にわたって相談。ペーパーのトピックについて話したら、どんどん関係のある文献を出してきて、どんどん話が膨らみ、「ジャーナルに投稿しなさい。」などと言われる。そしてどんどんキャリアを築きなさいと。毎回このパターンだが。いやあ、そんな簡単にタームペーパーみたいなものをジャーナルに投稿できないっすよ、先生。
来学期とる予定のクラスについても話す。「もちろん授業を取ったことのある教授にcommitteeに入ってもらうのがidealだけど、必ずしもそうでなくてもいいんだよ。」とのこと。どれだけ授業をきつくするかは参加するであろうプロジェクトがいつから始まるかにもよる。フレキシブルに行かなくては。
今日話していてわかったが、彼曰く「別にここの学部にいる教授や大学院生の質が低いと言うわけじゃない。でも、やっぱり有名なところのほうがoverallに言うと大きく勝るんだ。それは僕がIndianaからCornellに移ったときにはっきりとわかった。だから君はPh.D.は他のところに出願するべきだ。」と。前々から(初対面から)他のところに行くことを勧めるのにはこういう理由があったようだ。昨日自分が行こうと思った大学のほかに4つほど名前が挙げられ、かなり具体化してきた。「ハワイでやるならスピードがいいところ。どんどんすっ飛ばして進んでいくべき。」とも言われた。修士は1年半で終わらせろぐらいの勢いだった。うーん。ほかの大学院生にも同じ事を言っているのだろうか。
明日はクラスでクイズがあるが、大学院生は出なくていいのでお休み。ペーパーの構想を練らなければ。

11/5 (Wed)

せっかく休みだったのに、いまいちはかどらなかった。なぜだろう。ムダに掃除とかしたからだろうか。
もう11月が5日も過ぎてしまった。あせる。15日までに人類学の歴史のペーパーを半分以上終わらせたい。昨日借りてきた本のおかげでだいぶネタが揃ってきた。
applied anthropologyのtake-home examがあるが、なんか試験のための試験という感じであまり面白くない。なんかもうネタ切れ、と言う感じ。applied anthropologyで価値があるのはdevelopmentにかかわるmedicalやenvironmental anthropologyだけだと思う。business anthropologyなんかはこじつけにしか見えない。やれやれ。
そういえば教授がそのペーパーのためのbibliographyを送ってくれた。彼も昔Julian Stewardについて書いたことがあるらしい。その量たるや50冊ぐらいあった。そんなに読めませんて。

11/7 (Fri)

どんどん日が経ってしまう。この前11月になったばかりだと思っていたのに。
ペーパーのための本は教授と図書館から借りているので、書き込めないのが能率を下げる。いちいちポストイットをはさむのは面倒だ。やっぱり、本は買わないといけない。
ペーパーの題は「Marx's influence on Julian Steward」だが、どうも直接これを扱った資料がない。government documentをチェックしてみたが、そこにもなかった。困ったので、今は名誉教授になっている当時大学院生だったMarshal Sahlins(シカゴ大学名誉教授)に直接メールしてみることにした。返ってこないかな、と思っていたが、なんとわずか20分後に返事をくれた。色々と教えてくれ、他に知っていそうな名誉教授も紹介してくれた。Sahlinsといったらこの業界で知らない人はいないほどのビッグネームである。とても驚いた。そして感謝。
紹介してもらった人にメールしておいたが、こちらは返ってくるだろうか。彼はStewardに直接教わっていたので、もし返ってきたらそれは非常に重要な情報となる。
この週末になんとしても書き始めるところまでこぎつけなければ。

11/9 (Sun)

昨日も今日も食事の時間以外はすべてペーパー書きをしている。おかげであと3ページ書けばいいところまで来た。書くネタもちょうどそれくらいで尽きる。
ダブルスペースでの1ページあたりの基本的な行数は23行である。恥ずかしながら、今まではっきりとわかっていなかった。だから1ページあたりの行数は23より少ない場合が多かったと思う。今回のペーパーはそれゆえにやたらとたくさん書いている気がする。たかが10ページなのに。
全く自分の書くのの遅さに嫌気がさす。もっと速く書けるようにならなければ。
もう一つの授業の15枚のペーパーのことを考えるとまた気が滅入ってくる。どんなに少なく見積もっても今学期はあと44枚書かなくてはならない。
明日帰りの航空券を予約しようと思う。先輩いわくもうキャンセル待ちになるかもしれない、とのこと。ああ、もっと早く予約しておけばよかった。だが、いままでそんなことを考える余裕は全くなかった。

11/10 (Mon)

何とかちょうど10枚書き終わった。これから見直したり直したりしてもう少し内容を膨らませようと思う。ひとまず、ほっとした。書いている間は先の見えないトンネルを進んでいるような気分だったが。
今日は風がすごく強かった。台風でも来ているのかと思った。実際来ていたのかもしれない。
そういえば学部の使えないセクレタリーが突然辞めた。彼はセクレタリーをやりながらフルタイムの学生をやっていたらしく、仕事が遅いのはそのせいだったらしい。おそらく、この前自分が被害を被ったようなことを他の院生にもやって、自分の忙しさと教授陣からの圧力があって辞めたのだろう。次の人には有能な人が入って欲しいものだ。
あと、新しいfacultyを雇う話しは流れたらしい。他の学部のほうが優先されたようだ。弱いなあ、人類学部。次のチャンスにはおそらく大丈夫らしいが。
明日はveteran's dayで休み。次のエッセイに取り掛かろう。

11/11 (Tue)

自転車を返してきた。とても丁寧に対応してくれてよかった。そろそろ自転車が入荷されているだろうか。ちょっと高くても買ってしまおうかという気になっている。
昼間寝て夜起きている生活なので、別に活動時間は変わらないのだが一日が経つのが妙に早い気がする。活動時間は同じでも普通の生活のほうが能率がよかったりするのだろうか。午前1時から6時までのあの静かな時間はかなり能率が上がると思うが。
昨日書き上げたペーパーについて、Anthropological Theoryという、結構人類学の理論の教科書として使われている本の著者にメールで質問してみた。すると、これまた丁寧に答えてくれた。さらに質問を送っておいたので、また返事が返ってくるのが楽しみだ。質問を書くのに2時間ぐらいかかったが。いっぱい書いたしなあ。
明日は朝9時から午後2時までこのアパートは断水されるらしい。授業の後は図書館で勉強することにしよう。本も探してこなくてはいけないことだし。
航空券はおそらく予定通りに取れるとのこと。あと1ヶ月で、3本のペーパー。がんばらなければ。

11/12 (Wed)

約1日おきで30分にも満たないが細々とチェロを触っている。色々大変なので放り出したい気持ちもあるが、今やめてしまったらもうずっと触らなくなるだろう。弾けなくなった自分を見たくないから。
将来的にフィールドワークのときなどは物理的に不可能になるだろうが、「無理だからやらなかった」のと「やれたのにやらなかった」の間には飛び越えがたい溝があると思う。
もう一刻も早くこのアパートを出たくなってきた。あのネイティブハワイアンの家族の行動は異常である。さらにその子供たちの騒ぎ方といったら尋常でない。多動症か何かかと本気で思う。このままだと本気で人種的偏見が体に植えつけられそうだ。
今日プリンターが届いた。自宅にプリンターがあることの便利さを実感。やっぱりないと本当に困る。
ペーパーをこの前仕上げたせいか、今書いている簡単なペーパーを書く速さが上がっているのがわかる。前は書く分量が足りなくて困ったが、もうそんなことはない。やたらと膨らんでくるのを減らしているくらいだ。
さっさとこのつまらないペーパーを仕上げて、自分の専門を思い切りやれるほうのペーパーに取り掛かりたい。

11/13 (Thu)

教授がまたチェロのCDを5枚ほど貸してくれた。どれも持ってないのでとてもうれしいが、こんなに親切にしてもらってもいいんでしょうか?と思う。
明日はインドネシアの森林火災について論文を書いた人のdissertation defenceがある。committeeのchairはSponsel教授なので、ecologicalの人は全員見に来なさいとのこと。いわれなくてもぜひ見に行きたい。今までの研究を発表するいわば晴れ舞台。終わったあとは涙ものだろうなあ。自分もいつかはやれるのかなあ、とか思う。あと何年かかることやら。どんなに短く見積もってもあと7年はかかる。そしたら30歳か。うーん。
しかし現実はまずこのつまらないエッセイを書かなくてはならない。あまりにつまらなくて今日ははかどらなかった。あと6枚か。
自分のやりたいテーマならどんなにつらくてもやる気がわいてくるが、こういうつまらないのはホント困る。邪魔だとしか思えない。

11/15 (Sat)

さあ、あと1ヶ月になった。
つまらないペーパーも今日書き終わったので、あとはひたすらecological anthropologyについてのペーパーに集中するのみ。このペーパーは自分にとって理論の核となるものなので、ぜひとも質の高いものを書き上げたい。残り1本はがんばれば3日もかからないものなので、余裕。
昨日dissertation defenceに行って来た。教授陣から結構難しい質問も飛んでいたが、うまく答えられていた。
終わったあとは、さすがにうれしそうだった。ハワイではこうした行事のあとにrayという花で作った首飾りをかけてもらうのだが、昨日はそれが初めてとてもいい習慣に見えた。
学校の寮への申し込みも済ませてきた。ここにいると毎日ストレスがたまるので、ぜひ移りたいものだ。今のところ2月ごろはおそらく入れる可能性が高いとは言われているが。
自動車を盗難から守るために、物体が近づくと全く低能な音を組み合わせたサイレンが鳴る装置をつけている車がそこらじゅうにあるが、はっきり言って大迷惑である。子供が近づくたびにあの不愉快きわまる電子音が無神経に鳴り続ける。アメリカ人は気にならないのか?・・・ならないんだろうな。少なくともここに住んでいる人々は。

11/16 (Sun)

今日はなんだかボーっとしてしまった。達成感がないのはただ本を読んだだけ、というのもあるだろう。最近毎日何か書いていたからなあ。
ハワイはもう冬になったようだ。1月前に比べるとだいぶ涼しい。夜、外出時は長袖一枚羽織っていないと風邪を引くかもしれない。だが、この気候のほうが夏よりさらにすごしやすい。
学部のセクレタリーが辞めた件だが、実情はあまりの無能ぶりに学部のトップ二人から首を言い渡された、ということらしい。4月から働き始めたらしいので、本格的に学生関係の事務をこなさなくてはならなくなったのは今学期からだったが、すぐにだめなことが発覚したらしい。だめなやつは即首になる。厳しいが、アメリカのいいところではないだろうか。

11/17 (Mon)

授業の後、ecological anthropologyで修士を終わって、今タイで言語を学びながらフィールドワークをしているMicahに話しを聞くことができた。今のところecologicalの先輩はかなり少なく、いる人もフィールドワークに行ってしまっているためなかなか話しを聞く機会がなかったので、大変ためになった。
彼はタイ語はすぐにここに来て始めたそうだ。来学期からとろうかと思っていたが、来学期は一つ上のコースしかないらしく、どうやら取れないようだ。困った。しかし、もし今学期とっていたらかなりひどい目にあっただろうなあ。
月曜の夜、「ラスベガス」というカジノを舞台にしたドラマをやっている。これがまた、アメリカ白人文化を象徴するような「物」と「金」であふれた舞台なのである。大変きらびやかな世界だが、最近勉強したEnvironmental Justiceという視点から見ると、とても複雑な思いになる。これだけではなく、いろいろなものに対する見方が変わりつつあるのを感じる。
相変わらず読むのが遅い。気ばかりあせってしまう。

11/18 (Tue)

昼夜逆転を解消するために昨日は早めに寝たのだが、途中で目が覚めてしまい、あまりうまくいかなかった。
午前中の授業で、いつもよく質問をするインドネシアからの留学生がいるが、彼女が何を言っているのかぜんぜんわからない。でも教授はわかっているようだ。不思議だ。何度もそう思う。
午後のディスカッションの授業で、今日の発表をした人は結構年がいったおばちゃんだった。彼女は先生として働いていたらしく、まるで彼女が担当の授業のようだった。すくなくとも議論をうまく生徒から引き出すという点では教授よりもうまいと思った。そういえば今日、教授は静かだったな。始めのころ、彼はあまりにもしゃべりすぎだったので自粛しているのだろうか。
クラスのメンバーが何を言っているのか今日急にわかるようになった。初めのころ全く何を言っているかわからなかったあの背の高い彼が言っていることもわかった。これは彼らの話し方に慣れたのか、それともリスニングそのものが向上したのか。いずれにしても、テレビを休憩のときに流しておくのはとても有効だと思う。あまり人と触れ合わない大学院生は、テレビを買うことをお勧めしたい。

11/19 (Wed)

人類学の歴史の授業で、Margaret MeadとDerek Freemanのサモアに関する意見の違いをディスカッションした。そのとき、サモア出身の留学生が色々と発言していて、とても貴重な体験が出来た。これはハワイでの最大のメリットの一つだと思う。
彼女はMeadの最大の弱点はフィールドワークにおいて現地の言葉を話せなかったことだ、と言っていた。彼女自身、サモア語と英語を何度も通訳した経験があるらしいが、untranslatabilityを常に感じるということだ。これはどの言語においてもそうだろう。やはり、フィールドワークをするなら現地語が出来ないと話しにならないことを再確認した。
まあ、現地の英語のできる女性と結婚するという手段もあるけど。実は人類学者と現地女性、という組み合わせは結構多い。うちの学部だけかもしれないが、知っているだけでもCulturalの男性教授たちは8割そうである。つうか学べよ、現地語を、と思う。
図書館でAmerican Anthropologist, Current Anthropology, Annual Review of Anthropologyなど主要なジャーナルから必要な記事をコピーしまくった。こういうのはコピーするしかない。バックナンバーを手に入れるのはとても難しいからだ。
なのに、ここに書き込む馬鹿がいる。大体図書館の本に書き込むということ自体知性と品性を疑うが、こういうジャーナルは特にそれが迷惑となることがわからないのだろうか。

11/20 (Thu)

授業ではゲストスピーカーが来てフィリピンの狩猟採集民について話を聞いた。その中で、彼らがいかにmarginalize, impoverishされているかが触れられた。それらは政府やWorld Bankなどによるものだが、もうこういう話は聞き飽きた、という感想を抱かざるを得ない。原因は、政府やWorld Bankの論理(capitalism)と、現地住民の論理(traditional, sustainable)が決して相容れないことと、前者が圧倒的にpowerを持っていることにある。確かにこういう現実に対して人類学者はadvocacyによって現地住民の利益を確保できるように努めることが出来るが、それがどれだけの効果を及ぼすかは疑わしい。advocacyは大変重要で、自分もやるべきだと思うが、それは根本的解決にはならない。
根本的解決があるとしたら現在のcapitalist world systemを壊すことだろう。でも、そんなことは不可能に思える。ならば、人類学者がpower structureに食い込まなければならない。しかしそれは人類学者に出来ることだろうか。
何より、人類が食糧生産を始めてegalitarian societyでなくなったときから、materialとpowerの不平等、持つものと持たざるものという構造はずっと続いてきたのではないだろうか。これを安易に不平等構造の正当化につなげるべきではないが。
この上で、environmental justice, human rights, developmentについて考えると、今のところ何も思いつかない。勉強しなければ。
書いていて思うが、自分がずいぶんマルクスに影響されていると感じる。
最近続けてAmazon.comから本を購入した(ここからアクセスできる書店ではなく、直接)。やはり届くのが早く、確実である。やっぱり新品はいい。古本の場合、書かれているコンディションに反してアンダーラインがあったりすると読む気がうせる。

11/21 (Fri)

夜7時からの講演会があったので行ってみた。内容は「A Sustainable World: What Will it Take to Achieve?」というもの。講演者はアメリカ植物学会の中ではとても偉い人らしい。
面白かったのは、もし全世界が先進国と同じレベルの生活をするには地球が3つ必要。今の状況から単純に人口が倍になったら地球が4つ必要。もし両方が起こったら地球が12個必要。というもの。どういう計算かは知らないが、まあ面白いたとえではある。
そのあとはなぜbiodiversityを維持するのが大切なのか、ということなど、結構generalな内容で進んでいき、最後のほうはハワイでの環境破壊の現状を取り上げ、これからハワイにいるあなたたちがsustainablityを目指すためには一人一人がさまざまな方法で努力していかなくてはならない、と結んでいた。そしてアメリカ人大喜び。
後半から内容はどうでもよくなり、「このおっさんおかしくないか?」ということをずっと考えていた。
大体、ハワイだけsustainableになっても何の意味もないだろう。ハワイなんて外部から無理やり物資を運びまくっている最もunsustainableな土地なのに、それを指摘せず「子供たちの教育」とかきれいなことばかり並べるのはとても浅薄だ。それに、外部からの物資がどこからどのように来ているか考えたら、すぐにそれらは第三世界における環境破壊の結果だということがわかるだろう。
初めの概論のところで「われわれは今のようなconsumingはやめなくてはならない」などと言っておきながら、最後のほうはそういうアメリカ人にとって耳の痛いところには触れずにあたかも努力によってsustainableになれるかのような締めくくりである。そして自分も含め聴衆は普段と同じ消費を家に帰ってからやると。
思うに、このような環境に関する講演会または活動は純粋に「儀式」である。sustainable futureという宗教の。ここでいちいち人類学的にその宗教性を論じることはしないが。こういうこともしアメリカ人に言ったらすごいいやな顔するんだろうな。
イラク戦争反対のデモが前世界中で起こったが、あれが何になった?出て行ってプラカードかついで戦争反対というアピールをしたことで「自分は貢献した」という幻想を抱くだけだろう。問題はあんなに反対されても攻撃をやめなかった理由を突き詰めて考え、その上で行動に移していくことだろうに。
これは環境保護運動のanalogyだ。結局は自己満足のための装置である。
環境問題は誰かがコストを払わないと決して前には進まない。しかし、誰も払いたくない。これが問題の核心だろう。
それはそうと、applied anthropologyのクラスで一緒の大学院生の旦那が植物学のresearch fellowらしく、自分がforestry managementに関心を持っている、と雑談のときに伝えると「ぜひ私のhusbandに会うべきよ。」といわれ、今日の講演会の前に会った。彼は人類学者と植物学、生態学とのコラボレーションが非常に大事だと考えているそうで、ぜひ君に色々教えたい、とのこと。なんだか降ってわいたような話しだが、これはとてもいい機会だと思う。いずれにしても基本的な植物学、生態学の知識は必要だし。

11/23 (Sun)

マジで苦しい。ペーパーの構成がまとまらない。考えれば考えるほどこんがらがってくる。
やっぱり理論の批判は難しい。しかも考古学のだし。考古学的仮説にどこまで科学的客観性を要求できるのかがわからない。だいたい、ecological anthropology自体どこまで科学的といえるんだろうか。
英語だと読んだもの、書いたものをどんどん忘れていってしまう。内容もそうだし、どこに書いてあったかもだ。メモがしてあってもたどり着くのに時間がかかる。
いやいや、これさえ書けば晴れてこの牢獄から出所できる。なんとかせねば。

11/24 (Mon)

ペーパーを構成するのを妨げていた点について書いてある(はずの)本を見つけた。なんとそれは昨日まで使っていた本の一つ前のeditionのものだった。いやいや、revised editionでは省かれてるとは恐れ入りました。
ていうかお願いだから、書いてあってくれ
これから読むのが怖い。

11/25 (Tue)

昨日の本には、期待通りのことが書いてあった。何とかかけるような気がしてきた。
自分がこの道を選んだきっかけはRoy Rappaportという人の本を読んだからなのだが、今回のペーパーではこの人の初期の研究を完全否定しなくてはならない。どんな研究にもよい点と悪い点があって、どちらが多いかは批判する人の理論的立場による。自分はもちろん彼に対してsympatheticなので、昨日の本の「この研究はもうはじめの概念設定から間違ってる。こんな研究はむしろやられないほうがよかった。」みたいな意見には反感を覚える。
今回のペーパーは自分をひたすら批判しているようなものだ。精神的にはよくないが、いまこれを確認できることはこれからの研究にとても役立つと思う。
ウィーンのプロジェクトに参加することがほぼ決定した。このプロジェクトにも今のペーパーは直接役に立つ。
プロジェクトから金額の多寡はともかくfundingをもらうことになるので、言葉がどうこうなどという低次元なところでとどまっているわけには行かない。幸い、このプロジェクトの扱う内容に関してはアメリカのほうが圧倒的にヨーロッパよりも情報があるので、自分の仕事をしっかりと認識・限定してがんばれば何らかの貢献は必ず出来ると思う。

11/26 (Wed)

現在午前2時にもかかわらず、表では馬鹿騒ぎが続いている。今日はサンクスギビングの始まりだからだろう。いつも馬鹿みたいに騒いでいるくせにまたか、という感じだ。ビールを飲んで騒ぐ以外にやることないのかお前らは。
applied anthropologyのクラスで、あと2回の授業のためのリーディングの教科書が学期の始めに入荷されておらず、みんな持っていないことが昨日判明。教授がコピーをいくつか作るのと同時に図書館にリザーブを置いて対応することになった。やれやれ、コピー作業は面倒だしapplied anthropologyみたいなのは分野的に半端で分類もしにくいからコピーはいやだなあ、と思っていたら、教授がextra copyをくれた。「他の生徒には秘密だよ」だそうだ。もらえるのはうれしいが、他の生徒の手前ちょっと気が引ける。彼は自分がchairを務める大学院生には特別に目をかけるという方針のようだ。彼は次のセメスターはsubbaticalだが、「自分がchairを務める生徒にはいくらでも対応する。いつでも来なさい」ということらしい。他の生徒はだめよ、と。これも善し悪しだと思うが、自分のような経験がなくまだまだこれから、という学生には最高のアドバイザーだと思う。
明日から休みなので、寝たいときに寝て、食べたいときに食べ、他はひたすらペーパーに集中できる。不規則なのはよくないのだが、これはこれでなかなかいい感じだ。

11/28 (Fri)

スーパーに行くと昨日のためのパイが山と積まれていた。あれをみると、とても食べ物には思えず、砂糖と油脂の塊にしか見えない。
昨日食べた豚肉でおなかを壊したようだ。賞味期限内なのに、焼いているときから異様に臭く、色々調味料をかけても臭いが取れなかった。仕方なく食べたのがいけなかった。
アメリカのスーパーで売っている肉は牛・豚・鳥すべて臭い。日本の一番安い肉の臭さを倍増させた感じ。本気でしばらく肉は食べたくない。
注文した本が届いたが、bonus bookとしてインディアンの民俗誌がついている上に、注文した本には10ドルのキャッシュが挟まっていた。ちなみにその本は送料込みで9.6ドル。意味不明だ。慈善事業として本を配っているのか?確認しなければ。

11/29 (Sat)

いつもメンターのChrisの誘いを断っているので、サンクスギビングの1日くらいいいか、と思い、今日はフットボールを見に行くつもりだった。そして今日に限ってものすごい大雨。
前日ほぼ徹夜でペーパーをやっていたのでふらふらしながら大学の待ち合わせ場所に行ったのだが、誰も来ない。しばらく待っても来ない。待ち合わせ場所を間違ったのだろうか。結局ずぶぬれになって帰った。そのあとメールを書いておいたが、何の連絡もなし。チケットはたった3ドルなのでたいしたことはないが、全く不愉快だ。
結果としてペーパーの進み具合が今ひとつだったので今日それに時間が使えたことはよかったのだが。
頬がこけて、髭も髪も伸び放題。目の下にはクマが。どこかの捕虜ですか?という状態。
だが、あと一歩のところまでこぎつけた。明日で確実に終われそうだ。

11/30 (Sun)

終わった。
最後の詰めがなかなか進まず、イライラが限界に達したのでビールを飲んでトランスしながらやることにした。結果は、まあうまくいったのではないか。うまくいったというよりは、細かいところを気にしなくなった、ということだろうが。あとで読み返したら、意外によく書けていた。
久しぶりにビールを飲んだら1瓶でもう気持ち悪くなった。アルコールを受け付けなくなってしまったようだ。
15枚のところを24枚書いた。マスターをnon-thesis planで行くなら30枚のペーパーを2本とresearch proposalを書くのだが、これはかなり余裕だと思う。だって仮に今回のペーパーをもう少し膨らませればもうすでに1本出来ているのだ。で、次の学期に書いたものを夏休みに膨らませればそれでもうOKである。research proposalは自分はトランスファーするので適当に書けばいいだろう。普通に書けるだろうし。その気になればマスターが1年半で終わるというのは本当のようだ。ネイティブなら1年でも可能だろう。急ぐべきかそうでないかは慎重に判断せねばならないが。
「この学期を乗り越えられるのか?」というプレッシャーはもう今日で完全になくなった。
それにしても、よくこんなに長く自分から出てきたな、とペーパーを振り返って思う。書いているときは「水がなくなりつつある砂漠の迷子」状態なのに・・・。