2003春 沖縄

18年ぶりに沖縄へ行った。
イラク戦争の報道が流れる中、一方で当時の日本がどうであったのかを思う。
18年前に見た戦跡と、読んだ文献は衝撃的であったが・・・。


今回の第一印象は、道路標識、案内板が増えたということ。
18年前は、道に迷って困った。
今回は、カーナビ装備とは言え、観光客にわかり易い年になったと思う。
当時、さんざん迷ってたどりついた守禮の門は、ただそれだけだったが、
今は、首里城が再建されている。






但し、首里城は入場料が高かったので入らなかった。


かつての琉球王国は、日清戦争で、日本になった。


この季節にサルビアも植えられている。


琉球王国時代の遺産は、いくつかが世界遺産に指定されている。
その中のひとつ、斎場御獄(せーふぁーうたき)。
女性だけの入場が許された琉球王国最大の聖域。








黙想するグループがいた。


沖縄の花「でいご」。南部ではもうシーズンを過ぎていた。


沖縄戦終焉の地「摩文仁の丘」から


百合が咲き乱れる。
第二次対戦末期、沖縄中部に無血上陸を許した後、
本土防衛の時間稼ぎのため、南部に撤退。
1945年4月から3ヶ月間、住民を巻き込んだ悲惨極まりない戦いが繰り広げられた。


平和記念資料館ができていた。
生々しい映像資料とともに、戦争の愚劣さを感じさせる。
ひめゆりの塔にも記念館ができ、悲惨さを目の当たりに感じる。
http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/
平和記念資料館のURL。
ただのメニュー的なWebサイトという感じ。
沖縄戦を詳しく知るには、こちらの方へ。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/okinawasenn.htm


薄暗い室内で体験談を読む


沖縄戦で亡くなった20万あまりの人々の名前をすべて刻んだ平和の礎(いしじ)


平和祈念堂と、向こうに見えるは、風力発電塔


最後は司令官の自決に終わった海軍壕
沖縄南部には、自然の壕も多くあり、逃げ込んだ民間人たちの悲惨な結末の場になった。

イラク戦争の悲惨さが映像でリアルタイムで伝えられるが故に、
マスコミの脚色で動かされがちだが、日本が体験したことは、
はるかに重いことだということを忘れてはならないと思う。

さて、ここからは観光地沖縄を紹介しましょう。

東洋一の鍾乳洞「玉泉洞」


近くに「ハブ公園」がある。
マングースとハブの対決は、動物保護団体からクレームがあり、
今は行われていない。
代わりのショーは、マングースとうみへびの競泳。




ひめゆりパークの植物


がじゅまろ(バニヤン)




中部「万座毛」から見た「象の鼻」


全日空万座ビーチホテル
18年前に金環日食を観測に訪れた。


北部の森に踏み入る






比地の大滝
ファミリーマートで、タコス入りの巻き寿司を買い、
ハイキング氣分で遊歩道を40分。
亜熱帯の自然がある。


北端の辺戸岬


北端というとどうも寒いという先入観があるが、
まわりには何もなく、天氣のせいもあってか、寒々とした風景。
道行く車も少なく、天然記念物「ヤンバルクイナ」が道路を横断するのを見た。


慶佐次のマングローブ林。これも天然記念物。






東南植物楽園





2週間前に突然旅行を決めて、
インターネットで格安パックを検索。
泊まったところは、石川氏の住宅街の中のホテルでしたが、サービスもよく満足。
南部と北部を一日ずつかけて回りました。
ビーチには行きませんでしたが、
戦争の悲惨さと、亜熱帯の自然。
かつての琉球王国。
斎場御嶽の氣の中で感じるところ多し。

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