2002夏 和歌山・奈良

2002年の夏休み。郷里の和歌山に帰省しました。


 実家の前に咲いていた向日葵
空の色も、花の色も、何か違って感じます


高校生まで、育てていただいた地ですが
自宅のすぐそばに、美しい海があることも
そんなに意識していませんでした。
改めて眺めるときれいなところです。


雑賀の鉄砲衆で有名な雑賀崎は、地元出身、高校大先輩の
津本陽さんの小説にもたびたび出てきます


雑賀崎から、紀ノ川河口方面を眺める
今は、埋め立てられてしまいましたが、子供の頃は海水浴場。
津本さんの小説にも出てくる「荒浜」。
実家は、この河口、和歌山港のそば。


国立公園だったのですね・・・。
「和歌の浦に潮満ちくれば潟をなみ芦辺をさしてたづ鳴き渡る」(万葉集)
この「潟をなみ」は、「干潟がないので」という意味・・・・と、
高校の教科書に必ず出てくる。
新和歌浦「片男波海岸」がこの東側にあります。




NHK大河ドラマ「徳川吉宗」に出てきましたが、
紀州東照宮の参道。
テレビに出てからきれいになりました。


急な石段ですが、この上から望む和歌浦もきれいです。


境内のサルスベリ


同じく和歌浦にある玉津島神社
こちらは、万葉の時代から、柿本人麻呂の歌にも登場します。


天然記念物「根上がり松」の根。
砂丘の砂が風で飛ばされて、根が露出しているわけですが、
子供の頃は、よく見かけた光景です。


和歌山周辺の初詣では紀三井寺と並んで、最も賑わう「日前宮」
鬱蒼とした森が残っています。


どこへ行っても、神社の森は貴重です。




紀州55万5千石和歌山城


国宝に指定されていたお城は、空襲で焼失。
今は、鉄筋で復元されています。
小高い丘が、伏した虎のように見えるところから
伏虎城(ふっこじょう)とも呼ばれます。


重要文化財の門(名前忘れた・・・岡口門だったか・・・裏門です)
こういう門から一歩入ると天守閣がどこにあるかわからなくなるから、
・・・よく出来ています。


小学校、中学校時代は、春になると写生大会に訪れた。
この構図を何百人の子供が絵にしたか・・・。
それにしても、壁も汚れたもんだ。


中は、博物館。


天守閣から南を望む。
この丘(吹上第二砂丘)は、南に続いて、(今は、県立美術館になっていますが、)
我が小学校、中学校があり、そして、その向こうに高校があります。
教室からはいつも和歌山城が見えていました。


和歌山市の東の方向
丘陵は、「紀伊風土記の丘」になっていますが、このあたりには、
弥生時代の遺跡がたくさんあり、古墳も多く見つかっています。
紀ノ川に沿って、ずっと向こうは、高野山に続きます。


北側は、市の中心部。
その向こうに紀ノ川が流れ、それに沿って山が連なっています。
これが、他ならぬ中央構造線。四国まで続くj大きな活断層です。


西側に、紀ノ川河口、紀伊水道が見えます。
有吉佐和子さん(この方も高校の大先輩)の小説「紀ノ川」には、
私の祖母の頃の和歌山が描かれています。




さて、今夏は、昨年に引き続き、また奈良を訪れました。
昨年は、柳生の里に行ってみたかったのですが、
今年は、葉室頼昭さんの本を読んで、
どうしても春日大社を訪れたくなったのです。

神殿は写真撮影できませんし、
何枚か撮った写真も、なぜかピンボケ。

ただ、神社の森を感じることができる「神苑」は紹介できそうです。


宮司の葉室さんの書。
形成外科の権威という立場から、神職に転向され、
春日大社の宮司になられた不思議な方。
その著書で、神道のこころを語られていますが、
これは、宗教などというものではなく、
まさに忘れかけていた日本人の心だなと感じます。
しかも、個人的には、師事している藤平光一宗主の教えと
共通するところが多くあり・・・、
来てしまった次第です。






































倒れた木から、若木が生えている。
古代からの原生林がそのまま神の森として残されている。
社そのものは、20年ごとに新しくするということを奈良時代から
延々と守り続けている。
自然と、人の心が一体になっている場所である。

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